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Vol.6栽培農家 斎藤 勝男

土地に生きるものの知恵と工夫で難題を克服、世界が注目する産地へ。

小さな粒を口に含むと、ほのかな甘みが広がる。その後を追いかけるように酸味が立ち上がり、さわやかな味わいが満ちる。白ワイン用の高級ブドウ品種「シャルドネ」。この芳醇な風味を育む土地—「新鶴地区」。福島県大沼郡会津美里町に位置するこの地は、1975年からメルシャンとシャルドネの契約栽培をスタートするも、収穫前の秋雨という難題に長い間、悩まされてきた。それを克服したのは、この土地に生きるものの経験から導き出された知恵と工夫だった。シャルドネの小さな一粒には、この地に根ざす人々の幾多の辛苦や重ねた想いが深い味わいとなって込められている。

栽培農家 斎藤 勝男

父の跡を継ぐ以前、農協で米作りの指導をしていた経歴を持つ。秋雨の影響で生じるブドウの病に悩む父から相談され、文献をあたって調べるなど、自らの知見を生かして手助けしたこともある。ブドウ栽培を継いだ今、パソコンを自在に駆使し、旬ごとの気象経過など、組合の総会に向けた綿密な資料づくりも自ら手がける。柔らかな笑顔と穏やかな語り口。その合間に見える、栽培家としての確たる自負。新鶴に根をはり、土地と共に生き、ブドウと向き合う日々が、栽培家としての芯を形づくる。この人のひたむきな後ろ姿は、後に続くものに知恵と勇気と希望を与えている。

最大の課題、秋の長雨

広い空から注ぐ陽の光、傾斜地ゆえの水はけの良さを特徴とする「新鶴地区」。標高は比較的低いものの、内陸性気候のため、昼夜の温度差が大きく、白ぶどう品種のナイアガラを栽培していた実績があったことから、1975年、ワイン醸造用のブドウ栽培の話を持ちかけられたという。「父の代の同級生6名の栽培家で組合を結成したのが始まりで、当初手がけたのは、セイベル9110、スチューベン、シャルドネ、ゲヴュルツトラミネール、ミュラー・トゥルガウ、シルバーナ、リースリングの7品種。その後、栽培家が増えて、1981年には最大で34名になりました。」

だが、バブル崩壊などの社会情勢の変化に加え、秋雨の影響で病気に襲われるなど、ブドウ栽培は危機的状況に追い込まれる。「7つあった品種も次第に減り、1992年にはシャルドネ一品種となり、品質が向上しないことによる減反で栽培家も1994年に25名、1995年に16名、1996年に15名、1997年12名、1999年11名となり現在は10名に減りました。何より障害となっていたのが、東北特有の秋雨。降水量の多い年は、晩腐(おそぐされ)病やベト病、灰色かび病などが出て、安定して質の高いブドウを収穫することができず、それが長年の課題となっていました。」

雨除けのアイデア

もともとこのあたりの傾斜地の畑は、水はけの良い土壌だったため、ほとんどの農家が薬用人参を栽培していた。直射日光が生育に悪影響を及ぼすことから、遮光用の資材にビニールを張って日よけしながらの栽培だった。しかし薬用人参をつくらなくなり、やがて遮光用ビニールは倉庫へ。ある時、栽培家の一人がそれに目を付け、遮光用ビニールを雨避けに転用することを思いつく。「実際に試してみると、それまで12回の消毒をしても治らなかった病気が、4〜5回の消毒で出なくなる。これはいいということになって、みんなで雨避けをするようになったのです。」

このアイデアが功を奏し、秋雨の影響を受けることなく、最適の時期に収穫できるようになり、ブドウの品質も収穫も安定。これ以降、新鶴地区のブドウは劇的に進化していく。

受賞、そして注目の産地へ

秋の長雨という難題を雨避け施設というアイデアで克服した新鶴地区は、ブドウの品質向上に成功、2001年、シャトー・メルシャン・ブランドとして初のヴィンテージ「新鶴シャルドネ2000」が誕生する。専門家から高い評価を受けると共に、世界的に歴史のあるワインコンクール「第26回 国際ワインチャレンジ(チャレンジ・インターナショナル・デュ・ヴァン)2002」でブロンズを受賞。続く翌年、同コンクールで「新鶴シャルドネ2001」が銀賞を受賞するなど、国際コンクールでの受賞を重ねていく。そして2011年、ついに「第35回国際ワインチャレンジ 2011」で、「新鶴シャルドネ 2009」が金賞を受賞。初のヴィンテージが誕生してから10年、新鶴地区は世界へと大きく羽ばたいていく。

地域と共に

受賞は、シャルドネと向き合う栽培家の意識にも変化をもたらした。それは世界に通用するブドウの産地としての自覚と誇りの芽生えであり、これを機にワインブドウに対する地域の人々の見方も大きく変わっていく。「海外のコンクールで受賞したことは新聞でも報道されましたし、方々から畑の見学にも来ます。生産者の意識が変わり、それまで以上に、ブドウと真剣に向き合うようになっています。懇親会の席でも、日本酒ではなく、ワインを飲むようになりましたしね(笑)。」

1975年から続く収穫祭も、当初は地域の農家が近所の公園で開く小規模なものだったが、今や前売り制で役場が主催する一大イベント「新鶴ワイン祭り」へとスケールアップし、地域の活性化にもひと役買っている。新鶴が世界に通用するワインブドウの産地となったことで、地域もまた変わろうとしていた。

すべては、ワインとして

ブドウは正直だという。手を抜けば、すぐにそれが出る。「作物はみんな同じ。多年生作物ですから、1年中、手を抜けません。冬でも雪が深くなれば、棚が折れてしまう。ブドウの実る時期だけでなく、1年を通して気は抜けません。」

すべてがわかるのは、ワインになった時。「栽培は、ブドウと向き合うしかありません。ワインになって初めて、善し悪しがわかり、評価される。ブドウ1kgで750mlのボトル1本になりますが、そこにその年、その土地の気候風土、そしてブドウのつくり手としての想いをすべて閉じ込める。自分の育てたブドウがワインになり、それが評価されるわけです。いいワインになりました、受賞しましたという話を聞くと、本当によかったと思います。とにかくいいブドウをつくりたい。良質のブドウをつくって、醸造に渡す。それがすべてです。」

ワインとは土地が育むもの。だからこそ、産地と栽培家、そして地域がすべてつながっている。ワインの中には、その土地が生きているのである。

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