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Vol.2ヴィンヤード・マネージャー 弦間 浩一/ヴィンヤード・マネージャー兼ワインメーカー 勝野 泰朗

ブドウ畑からワイン造りを担う、2人のスペシャリストたち。

造り手たちが語る、『シャトー・メルシャン』の物語。今回登場するのは、ブドウの栽培、管理を手がけるヴィンヤード・マネージャーの弦間浩一と勝野泰朗。
この2人を中心に、農家とワイナリーの関わりと、そこにある『シャトー・メルシャン』独自の取り組みなどをご紹介します。

弦間 浩一ヴィンヤード・マネージャー

1981年、城の平ヴィンヤード開園と同時に入社。現在はヴィンヤード・マネージャーとして、ブドウの栽培管理のリーダーシップを執り、日本各地の契約農家への栽培指導も手がける。「良いワインを造るために、品質の高いブドウをつくっていくことが栽培家の使命である」をモットーとし、その情熱的な姿勢で農家からも厚い信頼を得ている。

勝野 泰朗ヴィンヤード・マネージャー兼ワインメーカー

2000年入社。ボルドー及びブルゴーニュでの研修を経て、2013年、ボルドー大学でのDNO(フランス国家認定ワイン醸造士・エノログ)の資格を得て帰国。『シャトー・メルシャン』配属後、栽培と醸造の両方の経験を持つ貴重な存在として活躍する。ブドウ及びワインに対する鋭い観察眼とその対応能力には、チームの高い評価と信頼がよせられている。

「はじめにブドウありき」を体現する仕事

ワインの味わいを決めるのはブドウ。だから、『シャトー・メルシャン』には、ブドウ栽培の指導や管理を専門的に行うスペシャリスト「ヴィンヤード・マネージャー」がいる。日本各地に、自社管理畑、契約栽培地を持つ『シャトー・メルシャン』が、いかに、畑やブドウと向き合い、農家との信頼関係を築き、「栽培」と「醸造」の垣根を取り払う努力を重ねてきたのか……2人のヴィンヤード・マネージャーの物語を通じて、その取り組みに迫ってみたい。

ブドウとの不思議な縁に導かれて

最初にご紹介するヴィンヤード・マネージャーは弦間浩一。地元・山梨生まれの栽培技術者だ。

「はじまりは中学2年生の時。両親が高齢となった祖父母の世話をすることになり、母の実家に引っ越したんです。でも、両親はそれまでブドウに携わったことがない素人で苦労も多かった。だから、将来は自分もなにか手伝いができたら……と思っていました。そんな漠然としたイメージを持ったまま、高校卒業を前に進路を決める時期がやってきて。進学が決まった矢先に、高校の恩師から“城の平に新しく開園するブドウ畑で働いてみないか”と言われたんです」と、話す弦間。

「栽培技術を学びながら、両親のサポートもできるかも知れない」と、恩師の導きに運命的なものを感じた弦間は、1981年に入社。栽培課で働きはじめた。それ以来、『シャトー・メルシャン』の畑でも、自身の畑でも、常にブドウと向き合い続け、そこで経験し、習得したことを契約農家にフィードバックしながら、栽培指導に活かしている。

農家と同じ目線に立ち、底上げをする

「ヴィンヤード・マネージャーの仕事は、契約農家全体の栽培技術の底上げをすること。だから、農家と同じ目線を持つことは非常に大切なんです。今でもできる限り畑に出て樹の様子を確認しながら、栽培管理を行っています。天候や気候、ブドウの状態など、畑に出なければわからないことが多いですし、やっぱり畑が一番落ち着くんです」と語る弦間。その笑顔からは、ブドウ栽培への深い愛着がひしひしと感じられた。この姿勢が多くの栽培家から受け入れられ、「あんただから、ついていくんだ」と言われるほどの深い信頼関係を構築している。

きっかけは、映画のワンシーンだった

次にご紹介するのは勝野泰朗。弦間とは全く異なる経歴からこの世界に入った気鋭のヴィンヤード・マネージャーだ。同時にワインメーカーも兼務し、醸造にも関わる総合的なプロフェッショナルとして活躍する勝野は、いかにしてワインと関わるようになったのだろうか。

「大学生時代、深夜放送で偶然目にした『雲の中で散歩』という映画のワンシーンに心奪われたんですよね」と、勝野は当時を振り返る。「別にワイン造りをテーマにした作品ではありませんでしたが、ワイナリーと畑の関係性を描いた印象的なエピソードがありました。畑があって、ブドウを育てる人がいて、ワイナリーがあって、ワインの造り手がいる……そこからワインの世界に対する強い憧れが芽生え、ワイン造りがやりたくなったんです」。この出会いをきっかけに勝野はワインの世界を目指して、2000年に入社。栽培課へ配属された。

ブドウ栽培と、ワイン造りに垣根はない

「ワイン造り」がやりたくて入った職場で、「ブドウ栽培」を担当することに違和感はなかったのだろうか。「自分の中で、“ブドウ栽培とワイン造りは一体である”という感覚が強かったので、むしろ“ワインの原点から携われること”に喜びを感じていましたね。上司とはじめて城の平ヴィンヤードに行ったとき、一面に広がるブドウ畑の光景に感動したことをよく覚えています」。そんな勝野に転機が訪れたのは、入社から7年ほど経った頃。35歳のときだった。

5年半に及ぶフランスでの修業時代

「“ボルドーへの研修に行かないか?”と、声をかけられたんです。もちろん、“行きます!”と即答しました。ただ、正直、不安もありました。研修の条件が、ボルドー大学で難関・DNO(フランス国家認定ワイン醸造士・エノログ)の資格を取得することだったんです。35歳にして、フランス語も全くわからない状況からの挑戦がはじまりました」。

その後、語学の修得や進級試験を経て、資格取得を終えて帰国するまでに実に5年半もの歳月が流れた。「基本的に一般の学生として生活するので、朝から晩まで、ずっとワインの勉強をする日々でした。でも、その日常の中で、フランスのワイン文化を肌で感じられたことは、非常に貴重な経験でしたね。フランスの人々は、ワインを食事やコミュニケーションを楽しくするものとして捉え、とても身近に楽しんでいる。日本でも、あんな関係がつくれたらいいな……と、本気で思うようになりました」。高度な専門知識と技術を学び、同時に、ワイン文化を学んだ勝野。その知見と手腕は今、各地の自社管理畑、契約栽培地で遺憾なく発揮されている。