Makers

Vol.1チーフ・ワインメーカー 生駒 元

ワインには、
その年の気候と土地の風土、
そして造り手の想いが
詰め込まれている。

造り手たちが語る、『シャトー・メルシャン』の物語。今回の語り部は、チーフ・ワインメーカーを務める生駒元。ワインとの数奇な出会いから、『シャトー・メルシャン』のワイン造りの舞台裏にあったドラマ、そこに賭ける情熱を語ります。

※このインタビューは2015年1月に行われたものです。記事中の役職等は当時の内容を掲載しております。

生駒 元元チーフ・ワインメーカー

1994年入社。研究職や商品企画職を経て、カリフォルニアの名門ワイナリー、『マーカム・ヴィンヤーズ』に2年間駐在し、ワイン造りを基礎から学ぶ。2006年に帰国し、メルシャン勝沼ワイナリー(現『シャトー・メルシャン』)のワインメーカーに就任。カリフォルニアで学んだ知見は、『シャトー・メルシャン』において、新風を吹かせている。

ワインの味わいをデザインする仕事

「ワインメーカー」とは、文字通りワインをデザインしていく仕事。思い描いた味わいを造るために何をするべきかを考え、知識と経験を駆使して組み立てる役割を担います。この仕事で何よりも重要なのは、ブドウのポテンシャルを活かし切ること。だからこそ、土地の個性・ポテンシャルを高め、そのポテンシャルを最大限に引き出し、ワインに詰め込む。それがワインメーカーの使命なんです。

あるワインとの“運命の出会い”

学生時代はもっぱらビール派。ワインとは縁がありませんでした。きっかけは1994年。メルシャンの酒類開発研究所に配属され、発酵にまつわる基礎研究の仕事をはじめたこと。その頃、たまたま、カリフォルニアの『マーカム・ヴィンヤーズ』というワイナリーのシャルドネを試飲する機会があった。思い起こせば、これが私とワインとの“運命的な出会い”でした。口に含んだ瞬間、今まで感じたこともないようなふくよかな香りと味わいと粘性を感じ、「世の中にはこんな液体があるのか!?」と、衝撃を受けた。そして、「自分もいつかこんなワインを造れたら」と、強く感じたんです。

“運命の再会”に導かれ、カリフォルニアへ

その後、開発研究や、工程改善、コンセプトワークやパッケージなどの仕事を手がているうちに、約10年の歳月が過ぎていました。“運命の再会”があったのは2004年……35歳のとき。当時の上司が『マーカム・ヴィンヤーズ』の買収を担当した事業部長で、彼から「カリフォルニアの『マーカム・ヴィンヤーズ』に行ってみないか?」と言われたんです。「とんでもないチャンスが巡ってきたぞ」と思い、「行きます!」と即答しました。

『マーカム・ヴィンヤーズ』では、「エノロジスト」という職を担当することに。海外のワイナリーでは、ワイン造りを取り仕切る「ワインメーカー」をトップに、そのサポートをする「アシスタントワインメーカー」がいます。エノロジストは、アシスタントワインメーカーとともに、ワインメーカーの仕事を支援するポジション。この仕事を2年間経験し、ワイン造りのプロセスを学んでいきました。

帰国後に待っていた試練

帰国したのは2006年。メルシャン勝沼ワイナリー(現『シャトー・メルシャン』)に配属され、いきなり製造係長としてワインメーカーに着任しました。メルシャンでは、先に勝沼を経験して、その後に海外のワイナリーに研修に行くのが一般的。でも、私の場合、先に海外でのワイン造りを学んで、勝沼のブドウを使ったワイン造りを知らない状態から、いきなりワインメーカーです。実際、勝沼のことも、作業の段取りも、何もわからなかった。それでも、現場で指示を出さなければならない立場に立たされた。もう、経験がある人たちに聞きながらやるしかありません。自ら畑やセラーに出て行って、一緒に作業をしながら、必死で知識を吸収し経験を積みました。

カリフォルニアとのギャップ

勝沼とカリフォルニアの一番の違いは、ブドウ栽培の在り方。カリフォルニアのマーカムの場合、ワイン造りに関わるブドウ農家は基本的に専業。地形も平らで畑の面積も大きいからそれができる。生育時期にも雨が降らず、いつでもブドウの適熟を待ってベストのタイミングで収穫が可能です。各ブドウ畑から200粒くらいずつサンプリングしてラボで分析し、その数値を見ながらブドウの収穫時期を決めていく。そして、ワインメーカーが号令をかければ、一斉に働き手が集まって収穫ができてしまう。そんなシステムがありました。

でも、平地が限られていている日本では小規模なブドウ畑が主流で、兼業スタイルの農家がほとんど。他の作物や仕事との兼ね合いもあり、ブドウ栽培に割ける時間も人員も限られる。だから、毎年、気候に違いがあるにも関わらず、収穫時期を予め決めて計画的に収穫せざるを得ない。結果、適熟の時期を見計らった収穫が難しかった。この点が最大の課題になりました。

想いを賭けて挑んだ「仕込み分け」

メルシャンには、勝沼以外にも全国にいろいろな畑があり、その畑ごとで地形や気候、適熟期が異なります。しかし、産地と品種だけで分けられたブドウが、まとめて600tも入荷してくる状況では、全てが適熟というわけにはいかない……そこで、私が着手したのが「仕込み分け」という方法。産地を細分化して、畑ごと、区画ごとにブドウの適熟期を見極めて収穫し、タンクに分けて発酵させる。すると、自ずとポテンシャルの高い原酒が出来上がっていく……というのが、仕込み分けです。

もちろん、全国で一斉に実施することは難しかったため、最初は長野の北信地区で結果を出し、3〜4年の時間をかけて全国の産地に拡げていきました。これが、現在の『シャトー・メルシャン』のワイン造りの基礎になっています。これは、帰国後ずっと抱いていた「マーカムで学んだことを還元したい」という想いを賭けた、私の挑戦でもありました。

メルシャンの「本気」を伝えた言葉と行動

特に農家の方々のご尽力は大きかった。適熟で一気に収穫するための人員の確保も大変な上、台風が接近してきても「適熟じゃないから、収穫は待ってください」と言われる。農家としては台風でダメになるリスクもあるので、最初は反発もありました。でも、「いいワインはいいブドウからしかできません。ワインの品質の8割はブドウで決まるんです」と、真摯に説得しながら、何とかここまでやってきた。人手が足らないときは、私たち社員が総出で収穫を手伝いに行くんです。言葉だけでなく、行動で示して、一緒にやってきた。私たちがいかに「いいブドウ」を求めているかが伝わり、適熟での収穫の大切さも徐々に理解が広がっていったのです。

「はじめにブドウありき」を体現する一体感

農家の方々は、それまで、「自分たちがつくったブドウがどんなワインになるのか」ということにあまり関心がありませんでした。しかし、それは仕方ありません。産地と品種だけで分けられてまとめてタンクに入れられたら、誰のブドウがどのワインになったのかなんてわからない。でも、仕込み分けをすることで、それがわかるようになった。

だから、ワインが完成したら、農家の方々を集めて、樽から出してテイスティングしていただき、「あなたの育てたブドウが、こんなワインに仕上がりました」と伝えるようにした。そこから、農家の方々のワインに対する関心は大きく変わりました。栽培に対するコミュニケーションが生まれるようになったんです。まさに、「はじめにブドウありき」。何よりも、農家の方々と「一緒に造っていく」という一体感が重要だと実感しました。